<洗足と田園都市開発>
明治、大正の大実業家として知られている 故 渋沢栄一氏。1918年(大正7年)9月に渋沢氏が内務省の高官たちの積極的な賛成を基に「田園都市株式会社」を設立。アメリカ・サンフランシスコの郊外、セント・フランシス・ウッドという町をモデルにした理想的な住宅地「田園都市」の開発を目的として1922年(大正11年)12月に最初に分譲を開始した住宅地が「洗足田園都市」、ここ「洗足駅」周辺である。現在も東京の中でも、緑につつまれた閑静な住宅地として知られている。
会社はまず手はじめに洗足地区を買収し、ついで多摩川台(現在の田園調布)大岡山地区の用地を買収、数年後に46万坪余を獲得した。ついで電鉄部を設け『目黒⇔大岡山』間の工事を行った。1923年(大正12年)3月11日には「田園都市株式会社」から鉄道事業を受け継いだ「目黒蒲田電鉄」が「目蒲線」を開通し、『目黒⇔多摩川園』間の開通をみるに至る。こうして「洗足駅」が開業された。
大正12年9月1日、関東大震災にあったが、当時洗足には40戸程の住宅が建っていたのに一戸の被害もなかった。これを契機に急激の発展をとげることとなった。
2023年(令和5年)は「洗足駅開業100周年」となる。
(奇しくもこの翌年(2024年)の上半期に「渋沢栄一氏」の新1万円札が発行される予定となっている)
洗足地区の変化は、東京オリンピックを契機とする環七の整備、目蒲線の立体交差化を境に、大きく目立ち始めた。とくに昭和40年に完成した洗足駅の新しい駅舎は、周辺の景観すら一変させる大きな変化だった。地下鉄線の目黒線相互乗り入れで、都心方面との交通が劇的に便利になったのもつい最近のことでした。
旧目蒲線も、いまや新鋭車両が走る大幹線に発展。故 渋沢栄一氏の先見の明あった田園都市開発も100年を迎えることとなり、洗足の町並みは良好な住環境を保ちながら、ゆるやかな変貌を遂げつつあるようです。
「文化の街 洗足の商店街」
街路樹を中心として、様々な商店が軒を連ねる「洗足商店街」は、おしゃれなお店や様々なカルチャー教室が多いのも特徴。駅前広場の横には音楽ホールもあり、アカデミックな風にも触れることのできる街でもあります。
洗足は皇后陛下雅子様のご出身地としても有名で、駅前に延びる「いちょう通り」は別名「プリンセス通り」とも呼ばれており、毎年季節折々に駅前広場を中心として楽しいイベントも繰り広げられています。
洗足の「今と昔」
出典:「目で見る目黒区の100年」郷土出版社、「回想の東京急行」大正出版 より写真引用
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