洗足の歴史

<洗足と田園都市開発>

  みどりにつつまれた閑静な住宅地の開発を目的とした田園都市開発株式会社が設立されたのは、大正7年9月2日であった。この発想は明治大正の実業界の中心人物であった故 渋沢栄一氏であり、この計画に積極的に賛成したのは内務省の高官達であった。
  会社はまず手はじめに洗足地区を買収し、ついで多摩川台(現在の田園調布)大岡山地区の用地を買収、数年後に46万坪余を獲得した。ついで電鉄部を設け『目黒⇔大岡山』間の工事を行った。これが後の目黒蒲田鉄道に発展し、大正12年3月には『目黒⇔多摩川園』間の開通をみるに至った。
  大正12年9月1日、関東大震災にあったが、当時洗足には40戸程の住宅が建っていたのに一戸の被害もなかった。これを契機に急激の発展をとげることとなった。

  洗足地区の変化は、東京オリンピックを契機とする環七の整備、目蒲線の立体交差化を境に、大きく目立ち始めた。とくに昭和40年に完成した洗足駅の新しい駅舎は、周辺の景観すら一変させる大きな変化だった。地下鉄線の目黒線相互乗り入れで、都心方面との交通が劇的に便利になったのもつい最近のことでした。

  旧目蒲線も、いまや新鋭車両が走る大幹線に発展。故 渋沢栄一氏の先見の明あった田園都市開発も80年を数え、洗足の町並みは良好な住環境を保ちながら、ゆるやかな変貌を遂げつつあるようです。